「徹ちゃん」
弦のテンションがへたれたらしく、徹は新しい弦を張りながら答えた。
「なに?」
「俺達は何も聞かされてないけど響の奴、愛子姐といい感じなん?」
その話しをすると関係のない徹まで嬉しくなる、徹はそう感じていた。
「そうだな、今回は本気みたいだ。響の奴。」
司は半眼でうめき両手を広げると芝居がかった仕草をしてみせた。
「マジかよ?我らのカワイイ愛子姐が響なんかの毒牙にかかってしまうなんて…。 こうなったら僕ちゃんが囚われの姫を助けないと!」
ごす!
後ろから飛んできた灰皿で後頭部を強打して司は床とキスをした。
「ぬぉぉ、頭が割れるぅ!」
鼻血をだくだく流しながら司が飛び起きた。
ドアの前には灰皿を投げ終わった体勢の響がいた。
「心配ない、おまえの頭は8割がた頭蓋骨だ。残りの2割は脳ではなく白味噌だろ。少しシェイクした方が発酵が早いぞ」
苦笑いの徹と、ため息をつきながら煙草の吸殻を(司の頭部にヒットした灰皿の中身)拾う健太。
この二人は気づいていた――――響の病気と、いま回復しつつある響の体調に。
1週間という短期間で10曲ものデモソングを作ってくる響。
明らかに人間業ではない。
早いとか上手いとかそういう次元の問題ではないのだ。
時間的に不可能。
響は生活に不可欠な拘束時間がない。
前々からなんとなくそうではないかと思っていた。
確信を持ったのは5ヶ月前、スタジオで響が倒れた時だった。
18歳の若さで過労はありえない。
疑った徹と健太は響が搬送された病院で医師の告知を盗み聞きしたのだ。
2人は激しく後悔した。
響が死ぬ。
現実味の欠片もないその言葉が2人を苛んだ。
しかしその3ヵ月後、長年共にいた彼らにだけわかる変化があったのだ。
響の全身から出る、えもいえぬ嗜虐感、ピリピリした感じがなんとなく弱まった気がする。
原因が愛子にあることはすぐに想像がついた。
徹と健太は心からこの事態を喜んだ。
作曲ペースは落ちたものの、ストックはたっぷりある。
響の命と引き換えに曲が欲しいとは思えない。
だいいち、ヴォーカルのいなくなったDayBreakに誰が魅力を感じるだろう。
それに、2人は人間的に響を失いたくはなかった。
この変化は響のヴォーカルにも影響する。
いままで無表情に近かった響が心から楽しんでうたうようになったのだ。
少しの変化…しかしオーディエンスは敏感に反応した。
気持ちのこもった歌声に魅了されDayBreakは少しずつファンを増やしていったのだ。
いまDayBreakは花開こうとしていた。