ヒビキ、相田響。
物心つく前に蒸発した母親がつけた名前。
唯一俺が母親に感謝したいと思えるのは―この名前を付けてくれたことだけだった。
8歳のとき、おふくろは急にいなくなったらしい。
親父は何も語らなかった。
写真は全て処分されていて、母の記憶もない俺はおふくろの顔さえ思い出すことは出来ない。
親父は会社の東京支店長、何の会社かは聞いたことがない。
一度、警官に補導された時に父親のことを聞かれて「名前以外何もわかりません」と答えて失笑されたことがあった。
8歳の俺に与えられた物は…充分な生活費と自分以外誰も帰らない家だけだった。
生活していくには全てを自分でやらなければならなかった。
お金があるだけでは食べることさえ出来ない。
自炊、洗濯、掃除―誰に教わったのか…気づけば当たり前にやれるようになっていた。
今ではわからないが、幼く何も知らない子供には過酷な日々だったと思う。
周囲の子供達が両親の溺愛をその身に受ける頃、俺は金銭面を除く残りの全てを自分の力でしなければならなかった。
喋り相手もいない自宅で、俺はラジオやカセットテープから流れる音楽に唯一の楽しみを覚えていた。
歌がうたいたい。
子供心に…「夢」というには建設的に、俺は将来を見据えていたような気がする。
高校を卒業してすぐ、本格的な音楽の勉強を始めた。
自分で曲を作り、うたいたい。
何かに取り憑かれたかのように必死だった。
ここまでの18年間で俺は充分に「条件」を満たしていた。
そして――――――発病した。